久しぶりにブログを更新。
前回は2週間ぶりで、今回はなんと2ヶ月ぶり。(それ以上?) こうやって人は気づかないうちに歳を取ってしまうのだろう・・・(^^;;
私、食べるおばはんは「食」へのセンサーが鋭めの方だと思っている。趣味は食べログ検索だし、常に通りすがりの新しい店がないかチェックしてるし、外に食べに行くのも家で作るのもどちらも大好きである。要は無類のメシ好きなのだ。
ずっと食べログ検索を続けてきたせいか、最近は載っている投稿写真を見ただけで、何となく美味いかそうでないかが分かるようになってきた。「何でだろう?」と、説明できないことには単なる個人の主観的問題になってしまい、再現性がないので何か合理的な説明がないか、このところずっと考えていたのだが(←単にヒマなだけ)、ようやく仮説を思いついた。
つまりはこうだ💡
美味いメシが心の奥底から好きで記録に残す人は写真も美味そうに撮れるのだ。何故なら、そう、メシが好きだから。
記憶に残すのに不味そうには撮らないのでは?と。料理が一番映える角度と光線で撮るはずなのである。だから、写真からでもその美味さが伝わってくる。逆に食に無関心な人が料理を撮ると、料理を主役にするのではなく、全体の雰囲気?で撮るから、料理が必ずしも映えるわけではないのではないか。
なので、美味いかどうかは写真で分かる。例えばこのお店↓ 食べログは全然さっぱりだが、行ってみたらめちゃ美味いのである。
そう、口コミが少なくても写真自体が雄弁に語るのである。逆に美味しくなさそうな写真が沢山載ってたら、そこは食にそこまでこだわりのない人がよく行くお店や少しコマーシャルよりなお店、ということで口コミが多くても私は大体行かない(もちろん口コミの詳細もくまなくチェックするけど。)
じゃあ食に無関心な凄腕の写真家が撮ったら?と言われたらなんとも言えないけど、そんな細かいことを突っ込む読者は私のブログにはいないだろう。(そもそも読者いないし笑)
ちなみに自分的な食べログ書くときの(ここ最近できてきた)基準については、
- 紹介するに値するお店であること
- 人が増えても大丈夫なほど入れ込んでないお店であること
- 普通もしくは平均以下だった場合は余程のことがない限り書かないこと
かしら。2点台のレビューとか、なんだかかわいそうだし、元々あるギャップと相当違わない限りは相手の集客にも多少なりとも影響するだろうから書かないようにしてる。コロナの状態でただでさえ人が来にくいからね。
と、いう2ヶ月ぶりの徒然談であった。まあくだらない。今日も酒をたらふく飲んで寝るとしよう。きゃっきゃっ。